ぼくらが富士山に登る理由。十年前のジブンに贈るメッセージ。

富士山に登ろうとした理由

おもむろに、実は「山登りが好きだ」ということをカミングアウトしてみる。山に登るまでは、その行為に対して「なんでそんなつらいことをするのかまったくかわらない」と考えるタイプの人間だった。

実は過去に二回、富士山に登っている。その時点では別に登山が好きだったワケでもないのに。では、なぜ突然山に登ろうと思ったのか。しかも日本一高い山「富士山」に。

話はかれこれ十年ほど前に遡る。

二人とも晩婚の部類に入る私たち夫婦も、二回目の結婚記念日を迎えた。ちょっと奮発してフレンチディナーを予約し、ヨメと二人で贅沢な時間を過ごしていた。

食事も終わったころ、ヨメから突然
「赤ちゃんができたみたい」
と告げられた。年齢的に早く子どもを作らなきゃと焦っていたので、それはもう小躍りするほど嬉しかった。

その反面で、ジブンが父親になるなんてどこか他人事のように、ぼんやりとしか想像していなかったため、翌日から「父親」としての責任がじわじわと覆いかぶさってきた。

だんだん大きくなるヨメのお腹。それに比例して辛そうな仕草も増えていく。期待と不安が錯綜する中、男としてなにもしてあげられない自分に不甲斐なさを感じはじめていた。

ちょうどその頃、仕事でも大きなプロジェクトが佳境にさしかかったころで、帰りが遅くなる日も続き、なかなか家事を手伝ってあげることもできない。ヨメの負担を支えてあげることすらできない。ただただ、男の無力さを感じるばかり。

「世の中のお父さんたちはこんな時どうしてたんだろう?」と考えてみたところでそれが解消されるわけでもないので、無事に生まれてきてくれることを心から祈るしかない。

「祈願」なんてものは行動ではなく気持ち次第だと思っていたけど、生まれてくる子供とヨメのことを思うといてもたってもいられず。

そして、何を思ったのかこのオヤジ、

安産祈願しよう。どうせなら日本で一番高い富士山のてっぺんで。

と突然「富士登山」を決心したのだった。

富士山に向け、無残な登山デビュー。

とはいうものの、山なんか登ったこともないし、ここ何年か運動らしいこともしてなかったので、体力的な不安が。聞いた話では毎日二十分歩けば基礎体力もついてくるらしいので、次の日から通勤時の地下鉄をひと駅歩くことにして、まずは基礎体力作りから。

季節は六月。出産予定日まであと二ヶ月。これまで、二十分の徒歩と軽めのランニングもこなしてきて、ちょっとは体力もついてきたころかなと、ようやく初登山を計画する。でも、ひとりではわからないことばかりで心もとないので、今回の富士登山計画をヨメと共通の友人にうちあけたところ二つ返事で乗ってくれ、もうひとりの友人も巻き込み「ワンゲル部」を結成。

とりあえず居酒屋で発足会&作戦会議。まずは初心者向けの山から攻めようということになり、近くで程よいレベルの「伊吹山」(1,377m)を目指すことになった。

そして、いよいよ初登山スタート。浮足立っていたモチベーションも最初の急な林道ですでに息切れ。中腹まできて長い登り坂でついに腰を下してしまう始末。

こんなにつらいとは
 山登りをあまく見てた。標高は低いけど決して初心者向けの山ではなかった。

それでも、なんとか山頂にたどりついたときは、いままでに経験したことのない感動で胸がいっぱいになった。

それにしても、体力の無さを痛感した無残な登山デビューとなった。

こんな状態で、果たして富士山に登れるんだろうか…。

まずは初登山おつかれさん!体力不足は日ごろの不摂生が祟ったんやろうね。あと、タバコ。一日四十本も吸ってたら、そら息も切れるわ。これを機会にやめればよかったって、今となっては後悔しとるよ。
まぁ、まだ最初の一歩やで、これから頑張って!応援しとるわ。

富士山シミュレーション。御嶽山はヤバかった。

無残な登山デビューから一ヶ月。富士登山の日程はまだ残雪の残る七月十五日に決定。ていうか、あと二週間ちょっとじゃないか!

あれからさらに走り込みをして基礎体力づくりも強化してきたけど、三千メートルクラスの高山をいちども経験せずに富士山に挑むのは無謀だと会社の先輩から吹き込まれ、えもいわれぬ不安とプレッシャーを感じる日々。いてもたってもいられず、この週末に三千メートル超の「御嶽山」に登る計画を立てる。

そして前日の土曜日。金曜日から暴風を伴った大雨に見舞われ、ワンゲル部の友人からも「明日は止めておこう」ということになってしまった。翌日の天気予報も雨。風はまだ強そうだけど今日よりはひどくない。

またしても、何を思ったかこのオヤジ、

「よし、ひとりで登ろう」と朝五時に飛び起きて、独り車で高速を飛ばす。目指すは、3,067mの御嶽山。

朝七時には登山口に到着。雨もまだ降っている。風も思いのほか強い。靄のかかった駐車場にはジブンの他に一台の車しかない。登山二回目にして単独登山。しかも最悪のコンディション。まわりに人影なし。もう不安しかない

でも、ここまで来たんだから、富士登山への不安を払拭するためにも登るぞ、とひとり小さく気合を入れていざ出発。前日の大雨でぬかるんだ山道に雨水が流れ落ちてきている。しょっぱなから靴もびちゃびちゃ。

御嶽山は信仰の山ということもあり、不気味な祠や仏像やらが山道のいたるところに鎮座していて、この靄の中で異様な雰囲気を醸し出していた。

まわりを見渡しても人影はなし。

「こ、怖い…」心の底からそう思った。

途中、雪が残る急斜面を渡らなければいけないポイントに差し掛かる。
「もし滑って落ちても誰も助けてくれんやん…」そう思うと、いろんな思いが巡ってちょっと泣きそうになった。

もしものことがあった時のために、生まれてくる子どもとヨメに自撮りで動画メッセージも撮った。

なんとか雪の斜面を渡り切り頂上まであと少しのところまできた。靄の中、目を凝らすと煙突から煙が出ている山小屋を発見!山小屋に入ると、小屋のお兄さんがひと言「こんな天気なのによく登ってきたね」と、褒めているのか、あきれているのか。下界の数倍もする金額の「シーフードヌードル」をすすりながら、その言葉の意味は深く考えず、でもなんだかちょっと泣けてきた。

体も少しあったまったところで山小屋を後にして、あとひと踏ん張りと頂上を目指す。山小屋から登ること十分、ようやく御嶽山の頂上に到着。

靄のせいで視界はほぼゼロ。まわりに人はいないけど、ご神体らしき像の人影が不気味に立ち並んでいる。もう、恐怖でしかない。急いでで記念写真を撮り、逃げるように急いで下山した。

心配していた高山病など、この恐怖で気にかけることもなく、なんとか無事に登山口まで戻ってこれた。
 全身ずぶ濡れの服を着替え一刻も早く家に帰りたかった。大袈裟かもしれないけど「今から帰ります」コールできたことが心から嬉しかった。

と同時に、富士登山への不安はいっきに吹っ飛んだ。心配していた高山病など、この恐怖で気にかけることもなく、なんとか無事に登山口まで戻ってこれた。
 全身ずぶ濡れの服を着替え一刻も早く家に帰りたかった。大袈裟かもしれないけど「今から帰ります」コールできたことが心から嬉しかった。と同時に、富士登山への不安はいっきに吹っ飛んだ。

翌日、この御嶽登山のことを会社の先輩に自慢げに話したら、「いや、あの日は山登っちゃいかんて」と叱られた。もちろんヨメからも。
二度と無茶はしません、ハイ…。

そんなシロウト感丸出しではあるが、この御嶽山単独登山を経験したことで、ちょっとだけ自信がついたような気がした。

まってろ~富士山!

キミはいっつもそうやん。思いたったら状況も考えんと行動する。そういうところはキミの親父にそっくりだわ。
でも無事に下山できてホントによかったね。あんな天候の中、独りでよお頑張ったと思うよ。
ただ、これから先の人生、家族のためにもあまり無茶せんように。後々、この日の体験を思い出す日が来るでさ。

いざ、富士山へ。そして奇跡のご来光。

七月十五日。いよいよ富士登山決行の日。天気予報ではあいにくの曇りのち雨でご来光は期待できそうにない雰囲気。今回は初めての富士山なので、初心者向けコースの富士宮ルートを選択し徹夜で一気に登ることに。

靄のかかった水ヶ塚公園駐車場に車を停め、登山口までのシャトルバスに乗り込む。
「なんかドキドキしてきたね」ほどなくして表口五合目の登山口に到着。真っ暗闇の中ヘッドライトをつけ、いよいよ富士登山スタート。

山開き後間もないということもあってか、登山者渋滞も発生したりで登るスピードはゆっくり。そのせいか、息切れや足がもたつくこともなく楽勝で登っていける。ただ、登山道は靄に覆われ星空を見ることもなく、足元を見つめながらひたすら登山道を登っていく。

気が付いたら八合目。霧雨のような靄につつまれた山小屋でしばし休憩。
「これは、ご来光は無理かもね」とあきらめムードが漂う中、キモチを引き締めて頂上を目指す。

頂上に近づくにつれ徐々に急な上り坂が増え、夏なのに肌寒い気温のせいもあってか体力がどんどん消耗していくのがわかる。登山者渋滞の中、息を切らしながらふと見上げると、暗闇にぼんやりと浮かび上がる山頂入口らしき鳥居が見えた。

「あともう少しで頂上!」

期待に胸をふくらませ、急な斜面を一歩一歩踏みしめながら登る。数ヶ月前に初めて山に登ったときのようなヘロヘロ感は全くない。
 そして、山頂に到着。普段の暮らしではなかなか発することもない
「イエーイ!」

という雄叫びとともに、友人らと強めのハイタッチ。

あたりはまだ真っ暗。しかも靄で視界もままならない。そして寒い。
「ご来光が見れなくても登り切ったことに意義があるから」
友人から励まされ、山頂小屋の軒下でうとうとしながらご来光を待つ。

徐々にあたりが明るくなってきたと同時に富士山の火口の全貌が見えてきた。

「うわ、本物の富士山」
いまジブンが富士山頂にいることをあらためて実感する。

靄の中、太陽の光で空が少しずつオレンジ色に染まってきた。靄なのか雲なのか白いベールに覆われたような状況ではご来光を拝むのはほぼ無理かもとあきらめムードが濃くなってきた。

とその時、風もないのに眼下の雲が動きはじめ下界の様子が見えてきた。そして、御鉢の山影越しに東の空が徐々に明るくなってきた。
「あそこまで行けばご来光が見えるかも!」
オッサン3人は明るくなった山頂をゴツゴツとした溶岩石に足をとられながらも、猛ダッシュで御鉢の東側に移動。ぜえぜえ息を切らしながら東の空を見つめる。

すると、日の出まであと少しというところで、まるで一陣の風が吹いたかのように一気に靄が晴れた。

そして、ご来光が現れた。

その瞬間、言葉が出なかった。

いや、言葉にならない言葉を発していたかもしれない。

もはや「感動する」という感情を通り越し、言葉は出ないけど、ただただ涙が出てくる。

思い浮かぶのは、出発の日に玄関先で見送ってくれたヨメの笑顔と大きなお腹。そして、これから生まれてくる新しい命のために、ご来光に向かってじっと手をあわせた。

「無事に産まれてきますように」

ふと横をみると、友人らも手をあわせてくれていた。そしてまた「イエーイ!」と強めのハイタッチ。ここまで付き合ってくれた友人らに「ありがとう」と感謝のキモチを伝えた。

やがて、ご来光も普段の太陽にもどり、本当の富士山頂である剣ヶ峯を目指す。

急な斜面を登り切り「日本最高峰3772m」の石碑の前で、出発前日に用意してきたものをリュックから取り出して記念撮影。ちょっと恥ずかしかったけど。

そして、生まれてくる子どもの命名もパチリ。字が汚くてごめんよ。でも精一杯キモチを込めて書いたから。

そんなこんなで、半年間におよんだ富士山「安産祈願」登山は、無事に達成できた。

そして、八月某日。元気な男の子が誕生。母子ともに健康で、私たちにとって初めての出産を無事に終えることができた。

「赤ちゃんってこんなにかわいいんや」と感動で涙ぐむ私に向かって、中指を立てる息子。

先が思いやられる

富士登山お疲れ!そして第一子の誕生おめでとう!こうやって計画立てて何かを成し遂げたのって、何気にキミの人生で初めてやない?
ただ、命名の写真をよく見てみ、肝心な息子名前の漢字を間違えとるやん!そーゆーとこがなんともキミらしい(笑)
息子も今年で小学三年生。安産祈願のおかげかどうかはおいといて、大きな病気をすることもなく、いい子に育っとるよ。

一年後、またしても富士山へ。

息子もすくすくと育ち、私も親父としての自覚を実感するようにできるかぎり育児にも協力した。

息子のハーフバースデーをすぎた頃、ヨメからまたしても唐突に「赤ちゃんできたよ」と告げられる。
息子が生まれたときに、兄弟がいたらうれしいよねと二人目の子づくりに励んではいたものの、こんなに早く実現するとは。
もちろん嬉しかったし、四人家族になることを心から喜んだ。

そしてまたこのオヤジは決意した。

「よし、安産祈願にまた富士山に登ろう」と。

今回もワンゲル部の友人二人に加え、婚約成就祈願のために富士山に登りたいということで、あらたにもう一人加わり四人で祈願登山に挑むことになった。

さらに今回は昨年の徹夜登山がつらかったので須走ルートに変更し、ご来光の見える山小屋に泊まる計画で、閉山間際の八月三十一日に決定。

昨年の富士登山以降、山登りにずっぽりはまった我々は、その後も近場の低山から南アルプスを中心に何回か登っていたし、基礎体力トレーニングも習慣化していたので、準備万全の態勢で登山当日を迎えた。

今年は絶好の登山日和に恵まれ、須走口五合目についたのはお昼過ぎ。軽く腹ごしらえをして、いざ登山スタート。

自分の体が山登り体質になてきたのか、前回の初富士登山にくらべるとヘタることもなくぐいぐい登っていける。きっとコースのおかげもあるのだろう。

しかし、途中のアップダウンが激しいところでは、暑さも影響してかかなりバテてきた。それでも今回は一泊二日なのでマイペースで登っていけるしキモチも楽である。

そうこうするうちに、今回の宿である本七合目の見晴館に到着。

「なんだか今回は楽勝だね」
と早めの晩飯をいただき、初めての山小屋泊に心躍らせた。

心躍らせる理由は山小屋泊が初めてだからということではない。だって、すぐとなりにかわいらしい若いお姉さんが寝てるんだもの。

私はイビキをかくので、となりの友人と反対隣りの若いお姉さんに気をつかって、なるべく遅く寝ようとしていたところ、このドキドキする感じはなんだろう。ぜんぜん眠れなくなってしまった。

それはご来光への期待感でもなく、山頂アタックへの緊張感でもない。きっと隣で寝ている若いお姉さんのせいだ。

結局眠りについたのは起床予定の一時間前くらい。目が覚めるとすでにお姉さんはいなかった。
半分寝ぼけた状態で外にでると、もうすでにうっすらと明るくなっていた。


 ほどなくして、待望のご来光が現れた。

「無事に産まれてきますように」
今回はおだやかな雰囲気の中で友人たちとじっと手を合わせる。

そして、剣ヶ峰を目指そうと準備をしていたところ、強風のため剣ヶ峰への登頂が禁止されてしまった。

しかたがないので、頂上付近の冨士山頂浅間大社奥宮碑前で記念写真をパチリ。

今年は失敗しないように、子どもの名前の漢字もちゃんと調べて書いてきたし。

こうして、今年も無事「安産祈願」登山を達成できた。

そして、三ヶ月後の十一月某日。予定より二週間早く元気な女の子が誕生。

予定日より早かったせいもあり、息子の時よりもかなり痛かったようで、それでも母子ともに健康で頑張って産んでくれたヨメには感謝しかない。ありがとう。

二度目の富士登山お疲れさん!今回はちょっと楽したんじゃないの?しかも、山小屋での不純なキモチ、あれはナニよ?ヨメにチクるぞ。安産祈願登山というか、単純に富士登山を満喫しただけやん。笑
まぁ、今回は間違えずに習字書いてきたから許すとして、ただ残念なことに、その後、娘の名前は別の名前に決まっちゃったんだわね。こういうところもキミらしいわ。笑

お礼参りに御嶽山へ。今思えばこれも運命なのかも。

二回の安産祈願登山以降、ワンゲル部として登山の回数も増え、ずっぽり登山にのめり込んでいた。

季節もおだやかになってきた九月下旬。山登り初心者だった頃、自分を成長させてくれた御嶽山へお礼参りに行きたいと、友人と予定をあわせ九月二十七日の土曜日に登山を計画していた。

ところが、前日の金曜日に友人から「急遽ゴルフ接待が入ってしまったので予定を変更してほしい」との連絡が。次の日の日曜日は都合が悪いとのことで、翌週以降だとこちらの仕事で予定が合わず。しかたがないので、また独りで予定通り土曜日に登ることにした。

その夜、翌日の準備をしていたところ、「日曜日なら行けそう」と友人から連絡が入り、予定を一日ずらすことで決定した。

翌日の土曜日、お昼ご飯を食べながらなにげなくテレビを見ていた時、画面に臨時ニュースのテロップが飛び込んできた。

「御嶽山頂で大規模な噴火が発生」

唖然とした。その後、緊急報道番組で映し出された映像を見て、完全に血の気が引いた。もし計画通り登っていたら、まさにあの時間、山頂で噴火に巻き込まれていたに違いない。
もし友人の予定が合わなかったら、独りあの山頂で大惨事に巻き込まれていたに違いない。

そして、家族が待つ我が家に帰ってくることはなかったかもしれない。まだ小さい子どもとヨメを残して。

そう考えると、映像を見ながら体の震えが止まらなかった。横にいたヨメが口を開いた。その言葉は今も鮮明に覚えている。

「よかった、パパがここにいてくれて」

その言葉を聞いたとき、何かがプツンと切れたように涙があふれ出た。

翌日、予定を変更して御嶽山から近い「木曽駒ヶ岳」に登った。山頂から望む御嶽山は、今もまだもくもくと噴煙を上げ続け、まったく違う山を見ているようだった。

犠牲になった方々のご冥福を祈りながらじっと手をあわせた。

そして、この登山を最後に山に登ることを止めた。
山に登ることが怖くなったわけではない。万が一、自分に何かあった時のことをいろいろと考えてしまうからだ。

今思えばこれも運命なのかも。
「生かされている」という運命を感じずにはいられない。二年前、病で死を覚悟したときもそう思った。

今年の九月二十七日、「御嶽山の噴火から七年」というニュースを見てこのブログを書き始めた。書いていいのかどうかずっと葛藤しながらこのブログを書いている。

「生きている」ことを大切にしたい。そして、家族を守りたい。
その証としてこのブログを公開することにした。

あらためて、犠牲になった方々のご冥福をお祈りいたします。

なんだか重い内容になってしまってすみません

子どもたちはというと、最近ちょっと生意気になってきましたが、いたって元気に成長してます。

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